鳴り物について 

現行の「東之町だんじり囃子」の歴史は浅く平成6年に作られたものです。我が町の地車所有が昭和2年頃までで、その後戦後まで曳行があったのか、文献も写真も無くわかりません。この間途切れていれば、囃子の伝承は無かったと推察します。
戦後は他地区の地車を借り、鳴り物衆も篠原
(灘区・厳島神社)呉田(東灘区・住吉神社)から応援に来られていました。その後昭和38年より63 年まで中断時期があり完全に前東之町囃子は消滅したものとおもわれます。
昭和63年地車復活の時鳴り物を打てる人は3人でした。次年度には1 人増えましたがそれぞれ育ってきた過程の中で好みの地車好みの囃子があって、鳴り物に一貫性がありませんでした。我が町ではお囃子のアクセントを担う、重要な役割のすり鐘は子供の担当になっていたため、子供達はそれぞれの太鼓の叩き手のクセを覚えて、大変苦労をしていました。
そこで後継伝承のため、囃子を統一したものにすることにし、試行錯誤の末、平成61 月解りやすい譜面とビデオテープを作製し関係者に配布しました。東之町の独自性を持たすため、やや複雑ですがベテランから若手へと維持・継承しています。


〈東之町の鳴り物〉
太鼓・・・平成2年4月8日 ミカドホールオーナー頴川俊雄氏により寄贈
     大阪市 田端太鼓店製   長胴太鼓(宮太鼓)  2尺2寸

半鐘・・・平成元年115 日  大阪市四天王寺西門前トンナ仏法堂より購入
               合わせ作り 口径1尺

すり鐘・・・大阪市四天王寺西門前トンナ仏法堂より購入(半鐘に同じ)

〈お囃子の種類〉

種類  地車の動き方
 鳴り物はじめ  お囃子の始まり だんじりを動かすきっかけ
 ソーラ  曳手の呼吸合わせの時 全員に出発準備を促す
 道中  その名の通り、道中を練り歩く時
 まがれ  地車の方向を変える時
 祝儀太鼓  答礼の時
 とばせ  だんじりを押し走る時
 もどせ  だんじりを後退させる時
 押したー  長い坂道を昇る時
 へたり  動かさず待機する時
 練り太鼓  宮入など練り行事の時
 納め  すべての終了

〈地車内の鳴り物配置図〉



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